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1月号 主な記事

野球

菊池雄星(岩手・花巻東3年)

仲間の支えで活躍できた
安藤佑=文・写真

昨年の高校野球で注目を集めた菊池雄星(岩手・花巻東3年)=岩手・見前中出身。左腕からの150㌔を超すストレートを武器に、春の選抜大会では準優勝へチームを導いた。優勝を狙った夏の大会では準決勝で敗れたが、「仲間のためなら、一生野球ができなくなってもいい」と、けがを押して投球する姿は、見るものに多くの感動を与えた。プロでの本格的な活動を控えたエースが3年間を振り返る。

信頼関係 大切にした3年間

菊池は、他県の強豪校の誘いを断って花巻東に入学した。元気のいいあいさつ、全力疾走、ベンチからの声援など「高校野球のあるべき姿」に一目ぼれしていたためだ。また「岩手で育った選手が郷土を背負って岩手に恩返しをしたい」という思いもあり、中学時代のチームメートやライバルチームの選手を誘っていた。

目標のためにストイックに

目標は「岩手から日本一」。個人としてはドラフト1位でプロ入りすることだった。そのために菊池は、どれだけ野球にストイックになれるかということを考えてきた。週1回の休みの日もグラウンドに行き、疲れがたまらない程度に体を動かした。「もちろん遊びたいと思うこともありました。でも日本一という明確な目標があったので『楽しいこと』ではなく、目標へ向けて『正しいこと』をしようと心掛けていました」と、当たり前のように口にする。

練習だけではなく、普段の生活では食事にも気を付けた。菓子やカップラーメン、炭酸飲料などを口にすることは自ら禁じた。

≪※続きは紙面で≫

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世界大会の公式球を抱える徳田耕太郎。大会ではファッションも審査対象になるため気を使っているという

世界大会の公式球を抱える徳田耕太郎。大会ではファッションも審査対象になるため気を使っているという

ピックアップ

フリースタイルフットボール 徳田耕太郎(愛媛・帝京五3年)

超絶! 日本一の足技テク
藤川満=文・写真

独学でマスター 世界大会へ

競技人口がほぼ皆無の町から、南アフリカで今年3月に開催される世界大会へ。徳田耕太郎(愛媛・帝京五3年)=愛媛・長浜中出身=が、昨年5月に行われたフリースタイルフットボールの日本大会で、ほとんど無名だったにもかかわらず、見事優勝をさらい出場権を手にした。

コーチは教本と動画サイト

フリースタイルフットボールとは、手以外の体を使ってサッカーボールをさまざまな方法で動かし、その動きの創造性やリフティング技術などを競うスポーツ。国内で本格的に取り組む競技人口は200人程度といわれているが、一昨年の世界大会で日本人が準優勝するなど、レベルは高い。

徳田がこの競技を始めたのは、サッカー部員だった中学1年。「部のみんなを驚かしてやろう」という一心からだった。部活では中学3年まで補欠だったが、フリースタイルフットボールの技術はめきめき上達する。コーチは手元にあった教本とインターネットの動画サイト。「新技が成功した時の達成感がたまらなかった」とその魅力を語る。

≪※続きは紙面で≫

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野球、スケート 阿部智大(北海道・鵡川3年)

3年間両立
岡崎敏=文・写真

インターハイでは男子500mに出場予定だ

インターハイでは男子500mに出場予定だ

小学2年から始めた野球は大学でも続ける

小学2年から始めた野球は大学でも続ける

昨春の選抜高校野球に外野手として出場した阿部智大(北海道・鵡川3年)=北海道・安平早来中出身=がこの冬、スピードスケートの短距離でインターハイ入賞を狙う。甲子園では、プロ注目の菊池雄星(岩手・花巻東3年)から1安打した逸材が、氷上でも才能を発揮している。

全国中学2位に未練あった

小学2年で野球を始め、下半身づくりのために小学3年からスケートに取り組んだ。冬は土の上で野球の練習ができない環境で、特にスケートが盛んな土地に育ったこともあり、夏と冬は別々の競技に没頭してきた。

「インターハイでは(8位)入賞できればいいなと思います。それまでに38秒90を切りたい」。38秒90は、全国中学スケート大会500mで出した自己ベスト。しかし全国2位だったことが、高校でスケートを続ける理由になった。「頂点で終わりたかったので、心残りがあった」。

≪※続きは紙面で≫

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スポーツの仕事がしたい

アスレティックトレーナー
斉藤健仁=文・写真

監督やコーチとともにスポーツ選手のけが予防や応急処置をメーンに、リハビリテーションや体力トレーニング、コンディショニングなどを担当するアスレチックトレーナー。医学的な知識を踏まえつつ、選手の体調管理や精神面まで気を配り、勝利に導くために選手やチームを陰で支える専門家だ。

けが予防・応急処置を中心に選手の体調管理をサポート

大学在学中に日本体育協会(日体協)公認アスレチックトレーナー(AT)資格を取得し、現在はサッカーJFL(日本フットボールリーグ)の昨年2位、横河武蔵野FCで活動している植村晃匡さん(24)に話を聞いた。

――どうしてこの仕事に就こうと思ったのですか?

高校時代はバスケットボールに精を出していて、漠然と「スポーツ関係の仕事に就きたい」と思っていました。そこで体育大に進学し、トレーナーのサークルに入りました。すぐに現場も体験できましたし、実際にATとして働いている先輩の話も聞くことができて、4年時には「この仕事で食べていこう!」と決心しました。

――現在、実際にどんな仕事をしていますか?

仕事は、選手のけがを予防することがメーンです。選手が良いプレーができるように、テーピングやストレッチをするほか、トレーニングメニューなども考えていますね。実際にグラウンドに立つことはできないのですが、チームの良いパフォーマンスにつながることは何でもしていますね。

≪※続きは紙面で≫

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テレビ番組「ジャンクSPORTS」でもおなじみの平田清乃。「教えてもらえることが新鮮だった。もっと強くなりたいという思いが増しました」と高校時代を振り返る

テレビ番組「ジャンクSPORTS」でもおなじみの平田清乃。「教えてもらえることが新鮮だった。もっと強くなりたいという思いが増しました」と高校時代を振り返る

高校時代を振り返る

ソフトテニス 平田清乃

頑張りは必ず生きてくる
小野哲史=文・安藤佑=写真

2008年、ソフトテニスの4大国際大会の一つであるアジア選手権の女子ダブルスで優勝し、日本のホープと期待される平田清乃(ナガセケンコー)。指導者不在で練習していた中学時代とは一転し、文化女大杉並(東京)での高校時代は教えてもらえることに喜びを感じながら、朝早くから夜遅くまで休日もなく練習した。そうした日々を過ごすなかで、「強くなりたい、もっと勝ちたい」という思いが膨らんでいったと振り返る。

中学で入ったテニス部には指導者がいなくて、自分たちだけで練習するしかありませんでした。部員の多くが小学生の時から地元のジュニアチームで競技を始めていたので、中学2年の途中ぐらいまでは試合で勝てるんです。でも、きちんとした指導者のいるほかの学校にだんだん勝てなくなってくる。精神的なきつさがありました。それでも3年生の関東大会の個人戦で準優勝し、全国大会に行けたことで文化女大杉並から声を掛けていただきました。

≪※続きは紙面で≫

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