バックナンバー

[2010] [2009] [2008] [2007] [2006]

5月号 主な記事

春高バレー

川上純子=文・安藤佑=写真

第41回全国高校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)が3月20日から26日まで、国立代々木競技場第一体育館で行われた。女子決勝は東九州龍谷(大分)が古川学園(宮城)を3-1で下し、女子史上初の3連覇に輝いた。男子決勝は東洋(東京)が13年ぶりの優勝を狙った鎮西(熊本)を3-0で破り、初優勝を飾った。

(選手の学年は大会開催時)

優勝の瞬間、抱き合って喜ぶ東九州龍谷の選手

優勝の瞬間、抱き合って喜ぶ東九州龍谷の選手

女子 東九州龍谷(大分)

女子初の3連覇 受け継いだ「勝負の心」

先輩が卒業間際まで鍛えてくれた

昨年は春高、全国高校総体(インターハイ)、国体と3冠を達成した東九州龍谷。12月の全日本選手権では、社会人チームを立て続けに破る快挙も果たした。しかし、主力の3年生が抜けた現チームの平均身長は、全国クラスの中では決して高くない約170cm。「エース不在」と今大会の前評判は高くなかった。

それでも、チーム力で他を上回った。決勝のカードは、3年連続となる古川学園。大型アタッカーを擁する相手に対し、速いトス回しによる高速コンビバレーで攻めた。守備面でも全員がフォローし合う粘り強さで、試合の主導権を渡さなかった。

紅白戦で胸借りる

東九州龍谷の毎日の練習時間は3時間で朝練はしない。ウエートやランニングを行わず、「とにかくコートの中で動くこと」をトレーニングのメーンにしている。そして、最大の強さの秘密は、バレーに対する情熱にある。「みんなのバレーへの熱い気持ちはどこにも負けない」と、決勝でチーム最多の26点を挙げた鍋谷友理枝(1年)=東京・淑徳SC中出身=は胸を張る。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

エースとしてチームを引っ張った柳田将洋

エースとしてチームを引っ張った柳田将洋

男子 東洋(東京)

一丸のV エース柳田成長の証し

2度の優勝を誇る強豪・鎮西を倒し初優勝。その直後、エースで主将の柳田将洋(2年)=東京・安田学園中出身=は、歓喜に舞うチームメートを横目に、コートの片隅で1人号泣した。「自分の中で優勝というものがものすごく大きかった。やっと勝てたんだ」。感情が一気にあふれ出た。

昨年もレギュラーとして春高に出場。持ち前の強烈なスパイクを武器にベスト8進出に貢献したが、準々決勝で優勝した都城工(宮城)に1-2と惜敗した。「1人で戦ってしまっていた。周りが全然見えていなかった」。柳田は、敗れた悔しさを1年間忘れたことがなかった。

昨夏の世界ユース選手権でベストスパイカー賞に選ばれたときも、「こんなにこてんぱんにされて、自分はまだまだなのに」と素直に喜べなかった。世界を相手に、自分の攻撃が通用しないと実感させられたからだ。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

二見梓(神奈川・大和南2年)
堀川真理(東京・共栄学園2年)

親友同士 約束の対戦
安藤佑=文・写真

堀川真理(東京・共栄学園2年)

堀川真理(東京・共栄学園2年)

二見梓(神奈川・大和南2年)

二見梓(神奈川・大和南2年)

女子3回戦で対戦した大和南(神奈川)と共栄学園(東京)。それぞれの主将を務める二見梓(2年)=神奈川・南郷中出身=と堀川真理(2年)=東京・共栄学園中出身=は「大切なライバル」と言い合う仲だ。

出会いは中学3年。「最初は特別仲が良いわけではなかった」(堀川)というが、今では、主将としての悩みなどをメールや電話で相談し合う。

1年前、2人は春高での対戦を誓い合っていた。対戦するには準決勝まで勝ち上がる必要がある。しかし、ともにその前に敗れてしまった。

「今年こそ絶対に対戦しよう」。大会1カ月前の組み合わせ抽選で、勝ち上がれば3回戦で戦うことが決まった。それからは、互いの連絡を一切絶った。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

全国高校選抜バドミントン大会

安藤佑=文・写真

バドミントンの第38回全国高校選抜大会が3月25日から28日まで、埼玉・彩の国くまがやドームで行われた。女子シングルスは、高橋沙也加(富山・高岡西2年)=富山・和合中出身=が優勝。女子ダブルスは青森山田の市丸美里(2年)=佐賀・唐津五中出身、田中志穂(2年)=熊本・坂本中出身=のペアが制した。女子学校対抗は聖ウルスラ学院英智(宮城)が3連覇。男子3種目は埼玉栄が優勝を独占し、竹内宏気(2年)=埼玉・埼玉栄中出身=は3冠を達成した。

(選手の学年は大会開催時)

女子シングルスを制した高橋沙也加

女子シングルスを制した高橋沙也加

女子シングルス

高橋沙也加(富山・高岡西2)
苦手のレシーブ 練習重ねて克服

「絶対優勝するしかない、という気持ちが強かった」。女子シングルスを制した高橋は振り返る。歓喜の3時間前には、悔しさを味わっていた。昨年のインターハイを制したダブルスで、準優勝に終わったからだ。ダブルス決勝の第3ゲームで17-17になった時、「マイナスのことを考えないようにと思っていたが、逆に意識しすぎて自分たちでミスしてしまった」。試合後、涙が止まらなかった。

直後のシングルス準々決勝でも、ショックを引きずるように第1ゲームを奪われた。それでも2ゲーム目からは「勝ち負けではなく、今までやってきたことを出そう」と気持ちを切り替えた。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

女子ダブルス

市丸美里・田中志穂(青森・青森山田2年)
「仲間のためにも」 団体戦の雪辱果たす

女子ダブルス決勝は、青森山田の市丸・田中ペアが、昨年のインターハイ女王、高橋・古西佳那子(2年)=富山・和合中出身=ペアを2-1で下した。

市丸・田中とも「応援のおかげ」と客席の仲間への感謝を口にした。決勝前「試合が怖かった」という田中は「みんなからの『強気強気!』という声で落ち着くことができた」。市丸は「団体戦で負けていたので、仲間のためにも絶対に優勝しようと思っていた。応援がすごく、2対2の対戦ではなくチーム全員で戦えた」とにっこり。相手がミスを悔やんだ第3ゲームは「気持ちで負けないで攻められた」(市丸)。4連続ポイントで突き放し優勝をもぎ取った。

ページの先頭に戻る

サッカーW杯特集

開幕まで1カ月 要チェック! 海外スター選手
小野哲史=文

開幕まで1カ月と迫ったサッカー・ワールドカップ(W杯)。およそ1カ月に及ぶ期間中、世界で延べ400億人がテレビ視聴する世界最大のスポーツイベントだ。高校生スポーツでは今月と来月の2号にわたってW杯の見どころをピックアップ。今回は注目の海外選手とW杯の基礎知識を紹介する。

要チェック! 海外スター選手

2009年のヨーロッパ最優秀選手と国際サッカー連盟(FIFA)年間最優秀選手に選ばれ、現在、「世界最高のプレーヤー」といわれるのが、アルゼンチン代表のFWリオネル・メッシだ。幼いころに成長障害疾患をわずらい、治療とトレーニングで病は克服したが、22歳となった今も身長169cmと、サッカー選手としては小柄な部類に入る。しかし、たぐいまれなテクニックを生かした変幻自在のドリブルを武器に、所属するバルセロナや代表チームでゴールを量産する。

ポルトガル代表のFWクリスティアーノ・ロナウドは、4位に終わった前回大会以上の成績を目指している。スラリとした長身とモデルのようなルックスで人気があるが、選手としての実力も超一流。爆発的なスピードで相手DFを置き去りにするドリブルや、予測不能な軌道を描く無回転フリーキックは一見の価値がある。昨年、レアル・マドリードがロナウドを獲得した際、史上最高額となる約129億円の移籍金を支払ったことも大きな話題となった。

1次リーグで対戦する日本代表が警戒しなければならないのが、カメルーン代表のFWサミュエル・エトーとオランダ代表のFWアリエン・ロッベンである。驚異の身体能力が魅力のエトー、ほとんど左足一本でボールを扱うロッベンと、2人のプレースタイルはまったく違うが、ともにチームの攻撃の中心的役割を担っている。FWウェイン・ルーニー(イングランド)とFWフェルナンド・トーレス(スペイン)は世界有数のゴールゲッターとして名高く、メッシらを含めた大会得点王争いにも注目だ。

ほかにもW杯出場の伝統国には、攻撃的なポジションならどこでもこなすMFカカ(ブラジル)、恵まれた体格でピッチ中央に君臨するドイツ代表主将のMFミヒャエル・バラック、守備の要として前回優勝の立役者となったDFファビオ・カンナバーロ(イタリア)らが、母国に優勝カップを持ち帰ろうと意気込んでいる。その一方で、海外クラブで活躍するFW朴智星(韓国)や、FW鄭大世(北朝鮮)といったアジア勢にも期待したい。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

W杯のキホン
小野哲史=文

五輪しのぐイベント

W杯は、FIFA主催の世界選手権。4年に1度、各国代表チームがサッカー世界一の座を懸けて争う。都市ではなく国家単位で開催され、1カ月間に及ぶ開催期間や全世界のテレビ視聴者数などで、オリンピックをはるかにしのぐ「世界最大のスポーツイベント」といわれる。

ウルグアイで第1回大会が開催されたのが1930年。第2次世界大戦の影響で40年代の大会は延期されたものの、初のアフリカ開催となる今回の南アフリカ大会で19回目を数える。過去18大会の中では、ペレやディエゴ・マラドーナ、ジネディーヌ・ジダンといった伝説的な名選手が誕生した。

過去優勝は7カ国だけ

優勝経験国は、5回の優勝を誇るブラジルや前回王者のイタリアなど、わずかに7カ国のみ。しかもスウェーデン大会を除くと、ヨーロッパ開催の大会ではヨーロッパ勢が、それ以外での開催では南米勢が優勝しているという傾向がある。

幾度となくアジア予選で涙をのんできた日本代表は、1998年のフランス大会で悲願の初出場。今大会では、2002年以来の予選リーグ突破を目指している。

ページの先頭に戻る

高校の制服姿の清水。将来はNBAのチアとして踊るのが夢だ

高校の制服姿の清水。将来はNBAのチアとして踊るのが夢だ

ピックアップ

チアリーダー清水美紗子(京都・立命館宇治3年)

あきらめない力 夢への扉を開く
白井邦彦=文・写真

プロバスケットボールbjリーグ・滋賀レイクスターズのダンスパフォーマンスチームである「レイクスチアリーダーズ」で今シーズン、唯一の高校生として活躍した清水美紗子(京都・立命館宇治3年)=京都・花山中出身。1度はオーディションに落選したが、課題を克服して翌年には合格。何が何でもコートで踊りたいという熱い思いが夢の扉を開けた。

「もう、悔しくて、悔しくて。涙が止まりませんでした」

2008年初夏に初オーディションで落選した時のことを、清水は振り返る。3歳から新体操を習い、演技には多少の自信があったから、いくら考えても落選理由が分からない。数日後にはチームの事務所へ、半ば抗議文的なメールを送っていた。

清水がレイクスチアリーダーズにこだわった理由は、川中尚子ディレクターへのあこがれが大きい。元NBAチアという経歴、清水と同郷(京都市)ということにも刺激を受け、「絶対に指導を受けたい」と思っていた。

だから、メールではなぜ落ちたのかを長々と質問した。そのメールを読んだ川中ディレクターの感想は「最初は何事かと思いました(笑)」。しかし「彼女の真っすぐな気持ちは伝わってきたので、落選理由とアドバイスを書き、来年も待っていますと添えました」。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

素材や材料を扱う部門は理工系学部・学科の大学・大学院などの卒業が条件の場合が多い。商品の企画から担当する部門では文系の学部出身でも働くことが可能である。

素材や材料を扱う部門は理工系学部・学科の大学・大学院などの卒業が条件の場合が多い。商品の企画から担当する部門では文系の学部出身でも働くことが可能である。

スポーツの仕事がしたい

スポーツ用品開発

選手の話も聞きながら素材・デザイン・性能を考える
斉藤健仁=文

ラケット、ボール、シューズ、ジャージーなど部活動でみんなが普段からお世話になっているスポーツ用品。もちろん、それら一つ一つには製造した会社があり、その開発を担当した人がいる。そんなメーカーの開発担当は、時代やニーズにあった商品を新しく考えて、試行錯誤の末に世に送り出す仕事だ。

新潟県出身の米山稔氏(現名誉会長)が創業したことから現社名となった「ヨネックス」。バドミントン、テニス、ゴルフ、スノーボードの用具やウエアなどを製造しているスポーツ用品メーカーとして世界的に知られる。そのヨネックスでバドミントンラケットの開発を担当している山中陽介さん(32)に話をうかがった。

ラケットの軽さ・強度に驚き

―どうしてこの仕事に就こうと思ったのですか?

中学からバドミントンを始めたのですが、初めてラケットを持ったときに「軽い! その上、強度もある」と驚きました。そこで、将来は自分でバドミントンのラケットを作ってみたい、と思ったことがきっかけでしたね。

―開発担当者としてどんな仕事をしているのですか?

ラケット開発のほぼすべてを担当しています。「どういったラケットを作るか」といったコンセプトから始まり、素材やデザインを踏まえて性能を決定します。自分で試打することもありますし、トップ選手や高校生に話を聞きに行くこともあります。最終的に素材や形状を選定して図面を描くのは、新潟にいる生産本部の社員が担当しています。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る

「勝てない方が多いですが、輝いた日々があれば良いですから」。選手やチーム、指導に対する思いは以前と変わらない

「勝てない方が多いですが、輝いた日々があれば良いですから」。選手やチーム、指導に対する思いは以前と変わらない

監督の肖像

セオリー無視がセオリー 独自の工夫と信念貫く

漆間健夫(東京・日大三アメリカンフットボール部監督)
斉藤健仁=文・写真

昨年12月に行われた第40回全国高校アメリカンフットボール選手権(クリスマスボウル)で、日大三(東京)アメリカンフットボール部「ブラックレジスタンス」が3度目の優勝を遂げた。1973年の創部以来37年間、同部を率いるのは漆間健夫監督(61)だ。競技未経験ながら、独自の工夫と一貫した信念で強豪チームを築き上げた。

「(アメリカン)フットボールでもやるか」。漆間監督の何気ない一言によって、日大三アメリカンフットボール部は誕生した。72年、当時男子校だった同校に生物の教諭として着任。2年目、初めて担任を持ったクラスの生徒に「男子らしい部活がない」と言われ、思わずそう答えてしまった。

Tシャツにぞうきんを縫い付けて防具にし、ボールはカラーボールを使用。体育の授業で使うマットをダミー代わりにして、タックルを練習した。「当時はあくまでもレクリエーションで、わたしも一緒にやって楽しんでいました」と振り返る。

初の練習試合は0-108

そのころ、同校は東京都心の赤坂にあった。グラウンドはテニスコート3~4面ほど。しかもコンクリートだった。河川敷、神社にも練習場所を求めた。後に、恵まれていない環境で発足したことを忘れないためにも、チーム名は「ブラックレジスタンス」となった。

 

創部から1年半後、初めての練習試合は0-108で大敗。だが漆間監督は「初めて試合ができた喜びの方が大きかった」。創部3年目からは公式戦にも出場したが、部員数の減少や自身の体調不良などで部存続の危機に面したこともあった。

≪※続きは紙面で≫

ページの先頭に戻る