スポーツには、じっさいにプレーするばかりでなく、じつにさまざまなたずさわり方がある。5月17日に76歳で亡くなった宇佐美徹也氏はその典型といっていいだろう。
著書の紹介文によれば、昭和8年に栃木県に生まれ、佐野高校卒業後、26年に繊維仲買の会社に入社するが、プロ野球の記録への情熱断ちがたく、当時記録の神様といわれた山内以九士パ・リーグ記録部長宅を訪れて入門を懇願、公式集計員として採用される、とある。その後、山内部長の定年退職を機に39年に報知新聞社に入社、記録の話題を記事にする"記録記者"という分野を開拓したのである。
宇佐美さんには52年初版の『プロ野球記録大鑑』という名著がある。これでプロ野球の記録の面白さを知った人は数多いと思う。かくいうぼくもその1人だ。
プロ野球で完全試合を達成した投手は15人いるが、9回二死、あと1人までこぎつけながら、最後の打者に打たれて大記録を逃がした投手が3人いる。そのうちの1人はジャイアンツの300勝投手の別所毅彦だが、それは27年の松竹ロビンス戦で起こった。
最後に代打で出てきたのは、プロ入り2年目の控え捕手の神崎安隆。神崎はセーフティーバントを2度試みたあと、ツースリーまで粘り、6球目を何とかショートの前に転がした。すると、これが前夜来の雨で軟弱になっていたグラウンドのせいでボテボテのゴロになり、内野安打になってしまったのである。
しかし、話はこれだけでは終わらない。神崎はプロ野球に4年間在籍して通算21試合に出場したが、その打撃成績は9打数1安打。
つまり、生涯たった1本のボテボテのヒットで別所は完全試合を阻止されたのである。
もし神崎のヒットがただのヒットなら、彼の名前は球史に登場することはなかっただろう。しかし宇佐美さんがこの記録を発掘したために、その名が残った。何と人間くさい話だろう。むろん、これは『記録大鑑』に出ているエピソードのひとつだが、宇佐美さんは記録の発掘と集計によって、野球をただの勝ち負けだけではないものにしたのである。
こうした人のことを考えるとき、もしプレーヤーと観客しかいなかったら、スポーツはどんなに味気ないだろうといつも思う。
(作家)