トレーニング論

第 1回 室伏広治アテネ「金」獲得の背景(06年創刊記念号掲載)

室伏広治の父、重信は「鉄球は教えてくれた」(1982年講談社)でアジアの鉄人と言われたハンマー投げの半生を述べている。やや古い著書のように思うかもしれないが、高校生アスリート諸君にはぜひ一読してもらいたいと願っている。

当時は日本人が陸上競技で、しかも投てき種目でアジアさらに世界に打って出るということを考える人はごく少なかった。しかし、重信を16歳から指導してきた私は、密かに世界の舞台をうかがっていた。

競技者が上を狙うのは当然のこと。指導者も同様に、より高い競技力を求めて指導を行う。そのためには目標の設定という大切な問題がある。人はこれを夢というが、夢には単なる願望と、根拠に基づいた夢とがある。

重信の父は柔道を経験していたという。母は短距離を得意としていた。ここが大事なところで、生物学的に運動をする筋肉(骨格筋)の性質は生命誕生から生涯変わることがないとされているから、父母の実績からみて重信は速筋線維(爆発的に伸び縮みする筋肉)が優れた遺伝子の持ち主であるという仮説が成り立つ。この遺伝子は広治のDNAにも確かに受け継がれているに違いない。

しかし、高校時代はようやく筋肉の構造が大人らしく構築される時期であるから、筋肉を自由にコントロールするような神経を養わなくてはならない。このためのトレーニングをどう行うべきか、高校生に十分理解させるのは難しい。手っ取り早いのは、いろいろな競技種目を体験させることだ。重信の高校生時代の投てき三冠王はこうした背景から生まれたものである。

「世界の頂点に立つのには約半世紀もかかるんだね」。これは広治のアテネオリンピック金メダル獲得を祝うパーティーの席上での、重信と私の会話の一部である。もし今のような我が国のスポーツ環境であったら、金メダルとは行かないまでも、重信も歴史に名を刻んでいたかもしれない。

一方、「鉄球は教えてくれた」は健康の大切さを競技力向上の大事な背景だと述べている。これは科学的知見からみても確かなことである。健康度が高い程、質的に高いトレーニングができ、量的にも高い水準のトレーニングが約束される。しかし、高度なトレーニングに耐え一定の健康度を維持するだけの身体的構造を持ち合わせている高校生は少ない。この点に気付いて競技力向上のトレーニングだけではなく、健康のために何をしなければならないのかを念頭に置いて生活することこそ高校生アスリートのあるべき姿ではないだろうか。

よく根性、やる気という言葉は古くさいといわれる。どうしてどうして。根性、やる気なくして競技が成り立つものではない。この事も「鉄球は教えてくれた」から学んでもらいたい。やる気は自らの考え方から、それを続ける根性も自らの考え方のあり様からと書いてある。

重信は現在、中京大教授として後進の指導に当たっている。第二の広治が生まれてくる事を期待したい。

(田中誠一=浜松大教授・東海大名誉教授)